アリエル・シャロン − かくして、彼は絶大になった

小田切拓

(岩波書店「世界2006.4」寄稿原稿)

■■■拡大するイスラエル

 イスラエル軍と、ガザ地区やヨルダン川西岸地区に居住するユダヤ人の一部が、初めて占領地から去った事が大きく報じられた。が、「撤退」の意味についてはあまり論じられてこなかった。

 ガザ地区でイスラエルが撤退したエリアは、西岸地区でイスラエルによって併合される可能性の高いエリアの面積の2〜3%でしかない。つまり「一方的撤退」とは、ヨルダン川西岸地区の併合が、主な狙いであったといえる。

 「……(ガザ地区が、将来イスラエルにはならないであろう一方)、ヨルダン川西岸地区には、イスラエルに併合されるエリアがあるのは明白である……」

 イスラエルによるパレスチナからの「一方的撤退」の詳細について規定した政策決定には、以上のように明記されている。それに呼応するように、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、04年4月、シャロンに宛てて書簡を送っている。

 「……主だったイスラエル人の人口集積地がすでに存在しているように、イスラエルとパレスチナの国境が、1949年に定められた軍事境界線を遵守する形にするのは、非現実的である……」

 シャロンが明らかに領土の拡大を公言していて、ブッシュがそれを後押ししているにも関わらず、国際社会から強い非難はなされなかった。

 地図を確認してほしい。

 48年にイスラエルが建国される前に「パレスチナ」と呼ばれていたのが、今のイスラエルとその占領地(パレスチナ)を合わせた菱形のエリアである。

 エジプト、ヨルダン、シリア、レバノンに囲まれたこの場所は、両者を合わせても四国を一回り大きくしたほどの大きさである。縮尺として添えられた200キロメートルは、日本でいえば東京から名古屋の少し手前までの距離になる。

 イスラエルは49年、第一次中東戦争に勝利し、「パレスチナ」の78%に当たるエリアを獲得した。

 パレスチナに残された22%はさらに西岸地区とガザ地区に二分されている。シャロンは、そのわずか22%の土地の、最大で約60%をイスラエルに併合するお膳立てをした。もし彼の発言通りに事が運べば、最悪、パレスチナ国家は「パレスチナ」の約10%にしかならない。

 さらに、イスラエルに土地を奪われた残りの西岸地区は、小さなブロックの集合体のようになる。都市部を中心としたブロックだけでは経済活動は行えない。

 「パレスチナが、一般的に理解されている『国家』になるのは不可能だ」、という見解が示されることが少ないのは不思議である。

<< previous | next >>

オマル・ムーサ × 小田切拓
(岩波書店「世界2006.8」寄稿原稿)
(岩波書店「世界2006.4」寄稿
(岩波書店「世界2004.5」寄稿原稿)
リンク
inserted by FC2 system