アリエル・シャロン − かくして、彼は絶大になった

小田切拓

(岩波書店「世界2006.4」寄稿原稿)

■■■シャロンの天才的な政治手腕

 知人に、Dという人物がいる。

 「シャロンは、本当は健在で、政策の指揮を執っているかもしれないよ」

 東欧のある小国の国営ラジオのイスラエル駐在員をしているDは、冗談を飛ばしながら私を自宅に招き入れてくれた。

 三年前、イスラエルに赴任したばかりの彼は、親イスラエル的発言を繰り返していた。恐らく、事情に精通する前に不用意な発言でもして、それが当局の耳に入れば、仕事にならないということだったのだろう。口癖は、「オレは、イスラエルのスパイさ」であった。

 彼の国は、イラクに派遣することでアメリカに忠誠を示したことが影響したのか、最近、イスラエルからの武器輸入の商談が進んでいるという。アメリカとの協調関係は、小国にとって死活問題である。

 少し太り始めた腹部を眺めては、「シャロンの息子」と自らを呼ぶようになった彼は、シャロンに心酔している。最近のシャロンの手腕はお見事としかいいようがないという。

 第一に、イスラエルが一方的に行った「ガザ撤退」を、平和的政策であると各国に認識させたこと。

 第二は、国内世論をまとめたこと。イスラエルには、特に西岸地区は神から与えられた地という認識がある。そのようなイスラエルにあって、同じユダヤ人である入植者を占領地から撤退するよう迫るのは難しい。「早くパレスチナと分かれたい」という世論の本音に対応するために、入植地政策を主導してきたシャロン自身がタブーを砕いたことで、国内での彼への支持はゆるぎないものになった。

 第三が、ライバルをことごとく自滅させたこと。シャロンは昨年11月に、自ら創設した政権の中核与党であるリクード党を離脱し、新たな政党「カディマ」を結成した。その際、新政党への参加が予想されていたライバル政党の元党首シモン・ペレスの勧誘をいったんは控えながら、ペレスが11月9日に行われた労働党の党首選でぺレツという新人に敗れるのを待って、ペレスから参加を申し出る形を取った。

 ノーベル平和賞受賞者であり、90年代の和平交渉の中心人物であったペレスは、平和イメージのアップに使える。

 シャロンはこの時点で、3月に予定されている選挙戦で彼の政党が勝った場合、ペレスに閣僚のポストを与えるとしたが、国会議員候補の比例代表名簿に彼の名前を載せようとはしなかった。まさに、ペレスを飼い犬のように貶めた(シャロンが倒れた後、ペレスは名簿に加わった)。

 右派も同様に、シャロン路線に大きく支持で水をあけられた。対パレスチナ最強硬派であるリクード党首ネタニヤフは最近、既定路線に反し、西岸の一部がパレスチナになることを容認する姿勢を示した。西岸地区とガザ地区はイスラエルにする(大イスラエル主義)という彼らの歴史的な主張を、撤回する可能性もある。

 劇的な変化を演出し、後は3月の選挙を待つだけという段階で、1月4日シャロンは倒れた、歴史的な選挙戦に沸くイスラエルで、シャロンは、カディマの比例代表名簿から外された。

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オマル・ムーサ × 小田切拓
(岩波書店「世界2006.8」寄稿原稿)
(岩波書店「世界2006.4」寄稿
(岩波書店「世界2004.5」寄稿原稿)
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